お帰りなさい。東武伊香保電車が渋川へやってきた。 [鉄道ファン]
この後、伊香保へ持って行くようです。最終的に伊香保で常設展示されるらしいです。
その昔、この電車の窓から見えたであろう赤城の山が今日も見えています。
この電車がホントに走っていたなんて、、、。とにかく急勾配ですよ!
街を上げての大歓迎!老若男女問わずみんな笑顔のひとときです。
渋川は、昭和がいたるところに残っています。
只見線に乗った2 [鉄道ファン]
車内はご覧のとおりガラ~ンとしてしまったが、34年ぶりの只見線を存分に味わう事ができた。
もちろん、只見駅では再び乗客があった。
只見駅を出れば、もうすぐ越後へ至る
既にとっぷりと暮れてしまった大白川駅。ここはもう新潟県である。
大白川では列車交換があった。
ついに小出駅に到着
私が乗ってきた列車も今日はこれで仕事納め。ゆっくり休んでくださいな。
昭和47年11月13日友人と只見線に向かった時も、ここで乗り換えたのだ。今でもハッキリ思い出せる。
上越線の下り列車がやってきた。
最近の駅では見られない風情ある屋根裏。
「駅」も夜と昼では見せる顔が違うと思う。
特に駅の夜景はなぜかしら旅情を感じさせるものがあるなぁ。
乗り換え時間はかなりあったのに飽きずにファインダーを覗いていたのです。
夜のローカル線は、やっぱり風情があります。
また、乗ってみたいです。
只見線に乗る [鉄道ファン]
会津若松から郡山経由で帰るのではなく、出来れば只見線で小出に出て浦佐から新幹線で帰るというコースを取りたいと思った。自分のSL撮影初期、思い出の場所のひとつ「早戸駅」付近の今が見てみたかった。
キハ40は高校生たちを乗せて走り出す。まぁ、賑やかな事。それにしても、あのズボンをヒザくらいまで下げて穿くスタイルは何なんでしょうね。ジェネレーションギャップという次元ではなく、もっと本質的な価値観の違いというか文化の放棄と捉えてしまうのは、私だけでしょうか、、、。
ま、とにかく只見線は進む。
懐かしい滝谷の鉄橋を通過する。もっとカーブしているイメージだったけれど。
早戸駅に到着。
こんなに現代的な駅舎が出来ていた。
私がここに来た昭和47年11月3日には、朽ち果てそうな駅舎というかトイレがあっただけのように記憶しているのだが、、、。脇を通る国道もこんなに立派だったかなぁ。その時は、会津宮下方向に歩かず、只見方向へ向かった。どうしてそうしたのか、忘れてしまった。もちろん、只見川第三鉄橋を撮るポイント「天狗岩」のことは知っていたのに。
この動画は、列車から天狗岩方向を望む車窓です。
さて、中学一年生の私は早戸駅に降りてから約一キロほど只見方向に来た場所でカメラを構えた。レオタックスという古いカメラを重い三脚にくっつけて、、、。カセットテープレコーダーまで持参。このテープは何度も再生したのでよ~く覚えております。その場所が、まさにここです。
写真がぶれていてよくわかりませんが、進行方向にアーチ橋が見えます。ここを只見方向から来る上り単行DCを撮ったコマがあります。その後、C11199の牽く下り列車を撮ったのでした。カセットテープには、撮影中の中学生2名の声が入っておりました。
しばらくして会津川口駅到着。
只見川沿いにある情感あふれる駅です。たそがれ時だったのでなおさらいい雰囲気。
この稿続きます、、、。
野辺山・清里・小海線 [鉄道ファン]
私にとってSL撮影を始めるキッカケともなった機関車。
昭和45年頃、手に入れたコダックインスタマチックカメラで火を落としたD51やC12やC58を撮るには撮ったのですが、それとは別に、親父の運転するスバルレオーネGLに乗って遭遇した小海線のC56は鮮烈な印象を残したのです。
最初は、おそらく昭和46年頃、佐久~臼田あたりの国道146号線を走行中、国道の左下を煙がモクモクと上るのを発見。既に高崎は無煙化されていたので生きている汽車を見たのは久しぶりだったに違いないのです。
そのまま国道を南下し、野辺山~清里間の最高地点踏み切りに差掛かった時、あたりが騒然とした雰囲気に包まれておりました。どうやら上り列車が来るようです。近くに車を止めて親父がカメラを取り出しました。レオタックスです。これには、リバーサルフィルムが入っておりました。
数分後あえぎながら登ってくるC56が現れました。八ヶ岳もキレイに見えます。煙の具合も程よく、こりゃぁ傑作が撮れただろうと、期待して現像を待ちました。ところが、どういうわけか、C56の姿だけは写っていたものの半分が真っ白という失敗写真。
考えてみれば、このときのリベンジを、と撮影に出かけたのかもしれません。
次に出かけたのは有名な「3Lの旅」というEL、SL、DLが担当区間をそれぞれ牽引する同一列車の運転日でした。
やはりこの最高地点踏み切り近くで撮影。友人達と一緒に行ったのですが、彼らは私が注意するのも聞かず「境川鉄橋」を渡り始めました。その直後、近くで気動車の警笛が聞こえ上り列車がやってきたのです。危うく間一髪(本当に!)のところで鉄橋を渡りきり助かりましたが、一歩間違っていたら、鉄道ファン史上に残る事故になっていたかもしれません。今、思い出しても恐い。
この踏み切りに立つと、三十数年前の出来事をハッキリと思い出すことができます。
境川鉄橋のすぐ横を国道が走り、旧道は雑草が生い茂って昔の面影はありません。
八ヶ岳の山並み、残雪、青空、緑、そして風は昔と同じですけれど、、、。
日本オイルターミナル [鉄道ファン]
JR高崎線倉賀野駅から単線の支線が延びてます。
その先にあるのが「日本オイルターミナル」。
平日朝7:01に高崎駅を出る各駅停車に乗ると倉賀野駅で出発を待つEF65重連貨物列車と並ぶ。
通勤電車はすぐに出発してしまうので、その後の事はよくわからないけれど、この貨物列車はすべてタキばかり。高崎線の貨物列車もコンテナかタキとなってしまっているのですね。
買い物ついでにこのオイルターミナルへちょこっと寄ってみました。近所のMr.MAXが安売りのチラシを入れていたのです。ガソリン価格高騰のおり自宅からは数キロ離れているので何かないと行きづらいもの、、、。倉賀野駅を出ると非電化単線のレールがマンションの裏をすり抜けていきます。
こんなところでも非電化単線はいい感じです。♪倉賀野駅長の警告。「停車場」っていい響きだなぁ。だけど妄ニ立入リタル(みだりにたちいりたる)なんて読めないよなぁ、、、。
ヤードが広がってこの先は行き止まり。
この行き止まりをあと若干延ばし「群馬の森」まで鉄道を通すアイディアが昔あった。C11かC12を動態保存させるというものだった。当時は、まぁ叶うことのない夢だったけれど、今や大宮に鉄道博物館ができてその観光エリアとしての高崎も考えられない話ではなくなってきた。群馬の森はクルマじゃないと行けない場所だから鉄道で行けるなら子供たちだけでも遊びに行けるし。
行き止まりの先の地形は若干の高低差がありそのまま群馬の森へ続く。さて、オイルターミナルの方に目を向けると廃車となったEF65が雨ざらし状態で数両隅っこに並べられている。その向こうには大きな看板の某宗教団体の高崎支部が。宗教ってのは儲かるんだろうなぁ。ヤードの中心にはDLの修理工場がある。中には小型のDLが休んでいた。
雲は多いものの青空がまぶしい。白く浮かんだ月がくっきり見えた。
最近思うこと、、、 [鉄道ファン]
毎日通っている高崎駅の横に「ヤマダ電機・本社ビル」ができる。
このところ駅の東口からそのビルに通ずる橋(ペデストリアンデッキというらしい)の着工が開始された
駅からそのままお店に入れるんだから便利ですねぇ。
秋葉原にあるヨドバシみたいなもんです。しかし、ヨドバシができたおかげで秋葉原全体の勢力図は一変したらしい。つまり、今までは細長いビルの上の方までお客が来ていたけれど、最近は閑古鳥が鳴いているというのだ。以前は羽振りの良かった大手の電気店でも上の階は寂しいものだそうだ。
当然、ヨドバシの混雑ぶりはものすごい。あの世界でも勝ち組、負け組がハッキリしたようだ。
盛者必衰でしょうけども、、、。
ところで高崎線といえば、自分が知る限りず~っと長い間115系というオレンジ+グリーンの湘南カラーの電車だった。でも、いつの間にか高崎線で見ることはなくなってしまったようだ。高崎の駅では、まだよく見かけるけれど。これは上越線やその他のローカル線で使われているからだ。
先日、会社からの帰りに奮発して「特急・あかぎ」に乗ったら、シートが楽チンなので居眠りしてしまい、気がつくと高崎駅を出発するところだった。まぁ、仕方がないから新前橋で乗り換えて上り電車に乗った。
これが、久しぶりの115系。昔は、そんな事思いもしなかったけれど、意外とシートがふかふかで柔らかいのに気づいた。自分の中では、味も素っ気もない電車と決めてかかっていた。ところが、いつも乗っているE-231系に比べなんとも穏やかなのだ。ふぅむ、こんなものかなぁ。それ以降、115系を見る目が変わった。もしかすると、そんなに長く残ってないのかもしれないなと思ったら、急に懐かしく感じてしまうのだ。
考えてみれば、「昭和」の電車だよなぁ。一番身近な電車かもしれない、、、。
で、この定点観測写真は、昭和49年頃と平成19年12月22日。
昭和49年の方は、吾妻線長野原行き。
大体このあたりかなと思って撮影したけれど、もっとホームの先端だったんですねぇ。
またあらためて撮ってきましょう。
こちらは、信越線横川行きです。
この信越線の電車(107系)のカラーリングはどうしてもなじめないなぁ、、、。
都電・荒川線 昭和50年 そして「水もれ甲介」NTV [鉄道ファン]
昭和49年秋頃、会津・只見地区のC11を撮影に行く時は、上野発23:50発の「ばんだい5号」に乗るのが常だった。夜行列車なので、発車までの時間を世田谷線や都電の撮影に多く費やしたものだ。
ある夜、自宅でテレビドラマを観ていた。昭和49年10月スタートの「水もれ甲介」(NTV)だ。観始めて驚いたのは、先週行ったばかりの荒川線・鬼子母神あたりが映っているではないか。しかも、自分たちが都電の写真を撮った電停やら付近の住宅街やらが次から次へと現れ、ドラマの内容も相まって一発でハマってしまったのだ。
王子電停
その後も、このドラマは荒川線を舞台としたといっても過言でもないほど都電が重要な役割を持った作品に仕上がった。登場する主人公たちの中で一人娘・朝美役の村地弘美さんhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E5%9C%B0%E5%BC%98%E7%BE%8Eがちょうど同世代で女子高生役(実際より三才も年上の役)だったのだが、まだまだ幼かった私はほのかな恋心を抱いていた。そのため、ドラマが終了した後もたびたび鬼子母神あたりを訪れ、夕暮れの下町にどっぷりと浸っていたのだった。
飛鳥山
夕方の併用軌道区間へ出ようとする7500型。
飛鳥山
写真下の丸い模様はフィルムについたカビ!保存状態の悪さがあらわれている。
そのドラマのDVDが再販されることになった。以前にもビデオやDVD化されてはいたが、価格も高く個人で揃えるにはそれなりの出費を強いられた。しかし今回は、ワンコイン(500円)とDVD-BOX(13枚組6000円くらい)となり、誰でも購入可能な価格帯となるのだ。
たまたま、仕事の関係でこの話を聞いた自分は、即座に特典DVDの製作を願い出た。思い入れのある作品であることに加え鬼子母神電停あたりの地下鉄13号線建設に伴う区画整理などで、撮影当時の姿が大きく様変わりしてしまう懸念があるからだ。あの作品の主人公たちが走り回っていた風景が消えてしまうのはなんとしても寂しい。まだ少しでも昭和の余韻が残る姿をDVDとしてとどめておきたいと思ったのだ。
結果、企画が通り、現在製作中である。昨日もロケハンに出かけ、懐かしい風景の中でロケ現場の特定作業を進めてきたのだった。
■昭和50年ころの荒川線(この直前のフィルムはまだ27系統32系統だった)
車内(電車やバスに乗る子供といえば、この表情でしょう)
学習院下
明治通り沿いの学習院下電停あたりは昔とほとんど変わらない。この坂を登って千登世橋をくぐれば鬼子母神。
千登世橋の下をくぐる7000型
7000型
新型7500型も登場していたが、主力はまだまだ7000型だった。時々6000型も車庫で見ることはあったけれどほとんど運用には使われていなかったようだ。
宮ノ前
大きな鳥居の前を過ぎる荒川線。
熊の前
併用軌道部分は懐かしい車が並ぶ。スバルレオーネ(実家のクルマがこれだった)、その後ろにはスバル1000(か1100)、スカイラインなどなど。
熊の前
当時大流行していた原付バイク「ダックス・ホンダ」
千登世橋
旗を立てて走る7500型。祝日だったんでしょうね。
ちなみに「水もれ甲介」DVD-BOX特典「ロケ地探訪」は、作品の中の映像と現在のロケ地とがオーバーラップする「定点観測DVD」的なものを目指しております。その他、ロケ現場の地図やシーンの索引を用意し誰でもロケ地めぐりができるガイドブックとして活用できるものになればいいなぁと思っております。
昨日も鬼子母神界隈を歩いていると、始めてこの地を訪れた中学生だった頃を思い出し、甘酸っぱい気持ちになったのでした。
D51498 モノクロで。 [鉄道ファン]
雨あがりの敷島温泉へ向かう途中、築堤の上の線路際に三脚を構えた人が数名。
もしかして、D51はまだ通過してないのかな?と思い、クルマを停めた。
敷島温泉に出かける、と決めたのもほんの二時間ほど前なのだ。雨が降っていたし、常にフトコロの寂しい私にとってこのところのガソリン価格上昇は、週末のチャリ生活を強いていた。雨が降ればチャリにも乗れないし、おとなしく自宅でギターの練習でもしてましょう、、、のつもりだったのだ。知り合いの強い勧めがなければ。さっき自宅にいる時に聞こえたD51の汽笛も背中を押してはいたけれど、、、。
そんなわけで、かなり久しぶりの「汽車を待つ」体験をしたのだ。三脚を構えた方々は、我々より年上だけれどもあたりに散見するヒガンバナを線路脇へディスプレイするなどという涙ぐましい小手先の演出までしてる。少しの間、三十年前のSL撮影旅行を髣髴とさせる会話もできたのだった。
昔に比べて、客観視してるなぁ、、、。以前は写真を撮ることに夢中になり過ぎてそのまわりの風景やら風俗やらに目を向けることがなかった。今、こういう場所に立っていると、榛名山の稜線が素晴らしいなぁ、とか雲の切れ間がきれいだとか、そういうことばかりに感心してる。もちろん、ヒガンバナの赤もキレイだった。
渋川駅を出発する汽笛が遠くに聞こえて、もう一度三十年前に戻ったかのようだ。この緊張感は久しぶり。いいなぁ。もっとも手にしているカメラは、FinePix40iというコンパクトデジカメ(300万画素)だ。フルオートなのでとりあえずな~んにもすることはない。昔だったら、刻々と変わる露出に何度も計りなおしたり、フィルムは何を入れていたんだったっけ?などと考えなくてもいいことまで気になってしまったり。まぁ、それなりの苦い失敗を数多く繰り返したからなんですけども、、、。
とにかく、汽車がやってきて、煙を残して過ぎていった。まさにタイムスリップした数分間。昔とはちょっと違う煙の匂いを感じ現代に戻ってしまったけれど、ゆっくり築堤をくだり敷島温泉へと向かったのでした。
昔を思い出してネオパンSS(ASA100)風に仕上げてみました。
D51498 [鉄道ファン]
自宅のDELLは、Windows Vistaでフォトショップがないものだから画像処理ができませんでした。
実は、10月中の毎週末、高崎~水上間をD51498が走るってんで見に行きたいところですが、仕事やら内輪の事情やら忙しくて(ま、ゴルフも社内行事ですから)夕方、帰庫してきたところを見物に出かけました。チャリです。
第一機関区の隅に小さなターンテーブルとプレハブっぽい機関庫があります。そのあたりで水上から帰ってきたD51の到着を待ちます。夕暮れから暗闇に至る少しの間、汽笛とドラフト、カラコロというロッドの音(?)を懐かしい気持ちで聴きました。
ちょっと飾りすぎる気もします(ヘッドライトのカバーやスノープラウなどなど)が、良しとしましょう。
数少なくなってしまったD51なんですからキレイにしてやって、いつまでも走って欲しいです。
自宅から歩いてもいける距離に動態保存蒸気があるなんてシアワセです。
期日前投票してから、、、 [鉄道ファン]
来週の日曜日は青森にいるから、参院選投票を早めに済ませました。
曇り空だったけれど、雨は降りそうもない。
このまま、「青春18きっぷ」を買いに高崎駅へ行こう。
またまた、羽越本線を各駅停車で北上するのだ。
な~んもないけど、けっこう楽しいんですよ、これが。
去年は鼠ヶ関あたりで土砂崩れ不通だったけれど、今年は大丈夫。
だとすれば、酒田で朝飯が食べられるはず。
ちゃんと、秋田でもお昼ご飯が食べられるように各駅停車の乗り継ぎが設定されてる、、、みたい。
西口の駅前にあった客車スタイルのお店。なんだったっけ?
なくなってました。まぁねぇ。
などと思っていたら、駅構内からD51らしき汽笛がボォ~っと。
ん?この時間に汽車が駅にいるわけはないんだけどなぁ。
「青春18きっぷ」は大人気らしく、御用達列車「ムーンライト越後」は週末満席。去年もそうだった。
いいことだ。みんな貧乏旅行しましょ♪
さて、さっきの汽笛に誘われてそっちの方へ出かけてみると、、、、
この塗装は珍しいなぁ。いつものツートーンもいいんだけれど、これはシックで絵になると思う。
昭和51年当時の第一機関区機関庫
30年前の夜景写真を撮ったところ
さらにチャリで走っていると、たしかに煙の匂い。しかも、懐かしい煙の匂いだ。
第一機関区横の転車台のある機関庫のところは、煙がすごい。こりゃ、間違いないなと思って脇のドアの隙間から覗いてみると、、、、いたいた。
久しぶりに見たD51は、きれいに磨かれて庫内に休んでいた。
自転車で散歩する距離に動態保存のD51が普通にいるってすごいよなぁ。
まるで中学生に戻ったような気分。