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昭和50年高崎第一機関区 [高崎エッセイ]

PICT0290.JPG

昭和50年頃の高崎第一機関区です。
wikiで調べてみると、写真の機関車はほとんど廃車になっているようです。
まだ40年弱ほどの年月しか経っていないので、驚きました。

そう考えてみるとD51498やC6120などが元気に走っているというのは、奇跡的なんですね。
タグ:DE11 高崎 DD51
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一徹ホルモン! [高崎エッセイ]

前橋に「東大門」という焼肉屋さんがあった。ほんの数年前まであったのだ。
結構、繁盛していて、都内でも有名な「牛鉄」(http://www.gyutetsu.com/gt_ayumi.html)の社長はこの店で修行したらしい。
しかし残念ながら、「東大門」は例の狂牛病騒ぎの時期に閉店してしまったのだった。

店主は、友人の母親だった。残念ながら閉店前後して病で亡くなってしまった。
愛嬌たっぷり元気あふれるオモニだったのだが、、、。
次男である友人は、ギターの師匠が一緒で私の弟弟子にあたり、昔から付き合いがあった。
現在でもクラシックギタリストであり、東京国際ギターコンクール優勝の肩書きを持つ名手だ。

店は閉めてしまったけれど、時々昔ながらのレシピを使って内輪の焼肉パーティをやる。
これが、とにかくうまい。ビールが進む。もちろん、商売じゃないんだから格安!
で、この時に普通の焼肉ロースターは使わないのだ。どこにでも売っている「カセットコンロ」を使う。
そして焼肉専用のアタッチメントグリルを乗せるのだ。

「カセットコンロ」には、いろいろなアタッチメントグリルが用意されているのだけれど、この「網焼きグリル」がとにかくスグレモノ。

ただ、彼が言うには、「○×(家電量販店)にしか売ってない」のだという。今までいろいろなホームセンターを覗いたけれどどこにも売ってなかったらしい。というのは、彼は以前からカセットコンロ用のアタッチメントをず~っと探しており、今まで満足したものがなかったのだ。事実、彼の元にはいくつかの網焼きグリル系アタッチメントが試された後、使われずに置いてあった。

「これじゃだめなのよ!」

なんだそうである。

もはやプロではなくなった彼にとって、焼肉は一般家庭と同じ存在であり、かつて店で使用していた無煙ロースターも処分されてしまっている。だが、彼の求める「焼肉」はホットプレートなどではとても再現不可能な本格的なもの。そこで「カセットコンロ」。安いから油で汚れても気にならないのがいい。

実は、今回の青森旅行のあいだ、やはり焼肉好きな友人と青森市内のホームセンターや家電店を回ってみたが、どこにも置いてなかったのだ。ところが、ネットでパラっと見てみたら、カンタンに発見!
なんと楽天のページにあったのだ。なんだかなぁ、、、、。

実は、この網自体が緩やかな弧を描いているのが重要だ。肉の脂分がしたたり落ちて、もうもうたる煙が立ち上る。これがまたまた重要なのだ。この煙によって燻(いぶ)される。この「燻し」がないからホットプレートや無煙ロースターでは味に深みが出ない。中央のグリル部分が遠赤外線効果を与え、ドーナツ状に貯めているため適度な蒸発からふっくらとした焼き上がり。このあたりが絶妙なのだ。プロの焼肉屋が言うのだから間違いない。


これで、豚のサガリとホルモンを焼く。辛目のキムチで肉をくるんで食べる。うまい~♪。
おいしいキムチで肉をくるむのがポイントだ。うまいよ~。

さて、一通り食べたところで、「前橋・花火大会」へ出かける。
今回の焼肉パーティは、この花火見物も兼ねているのだ。

二十年ほど前は、かなり大きな規模の花火大会で、その時初めて観た「空中ナイアガラ」の美しさは忘れられない。しかし、景気後退の昨今、シャッター通りが連なる前橋市の予算も限られているのであろう、残念ながら規模縮小の花火大会となってしまっていた。同じ種類の花火が何発も連続で打ち上げられる単調な演出にがっかりする。

以前の立錐の余地もないほどの見物客だった頃と比べ、スカスカの人出である。

ちょこっと寂しい気分を引きづりながら、後半戦の焼肉パーティに向かうのだった。


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倉賀野に漁港を造ろう!(ジコマン高崎改造計画・夢物語) [高崎エッセイ]

倉賀野に漁港を造ろうじゃないか!
場所は、ここだ。

新しいテーマパークを提案しよう。
題して「倉賀野漁港」どぇす。
イメージは、東北の漁村にある小さな港だ。

メインとなるのは区画の中央に位置するフェイクな港とイカ釣り船の本物ディスプレイ。
もちろん、実際の船が港に係留されている姿を造る。港に見立てた巨大プールに船が浮かんでいるのだ。錆びた道具や網、浮きディティールにこだわります。ほのかに潮の香りも感じられるくらい。
夕方には、イカ釣り船のライトまで点灯するサービスぶりだ。できれば、カモメも飛んでいて欲しい。

その港を取り囲むように商業施設が立ち並ぶ。

港の市場にある仲買人の店。同じような食材を売ってる個人商店が並び、威勢のいいオバちゃんたちの
掛け声が響く。高崎にもある角○魚類も誘致する。
浜焼きでは、新鮮な魚介類を焼く香ばしい煙がたちこめる。その場で焼いて酒の肴にするもよし。
定食屋では、煮魚定食や焼き魚定食、ちょっと値段は張るけれど刺身定食。
どれも北関東随一の新鮮素材を提供する。

別の区画では、複数の回転寿司店(店の外観は漁港の小さな寿司屋でなければいけない)がいいネタを競っている。お昼時には、長蛇の列が出きるけれど、いとわず並ぶ北関東海無し県民たち。だが、さすが漁港の寿司屋。ネタには文句を言わせないぞ。

市場の脇には、西の讃岐、東の上州といわれる「うどん」の安くて美味しい店が、上州名産の「梅」や「梨」を扱う簡易売店とともに出店している。漬物の前橋「たむら○」も高崎「こおじ○」とともに出店させましょうや。


、、、と、まぁ、こういう北関東では新しいテーマパークを「倉賀野に造ろう!」じゃないか。
倉賀野のスペースは広いから半分はベイシ○のSCも誘致する。それでも充分あまるほどだ。
群馬は温泉を初めとした観光資源にこと欠かない。しかし、お土産となると、どうしてもコレというものがない。美味いものは何?と聞かれて答えに窮する。全ての解答がここにある!かもしれない。

イオンのような大型SCの後は、地方のテーマパークなのだ。
集客を半径100km以上で考えなければいけない。埼玉も、栃木も、東京も、長野も、山梨も神奈川もぜ~んぶターゲット。軽井沢や草津の行き帰りに必ず立ち寄らせる巨大テーマパークは、低予算でできる巨大テナントスペースである。

この稿つづく、、、、かも。


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夜汽車の街(ジコマン高崎改造計画 夢物語) [高崎エッセイ]

高崎を夜汽車の出る街にしたい。仕事帰り、深夜の高崎線各駅停車に揺られながら思う。

僕らの世代くらいまでは、ほとんどの人が夜汽車に乗った経験を持っている。
毎月のように出かけた汽車撮影の旅は、ほとんどが夜行列車だった。上野駅や新宿駅の「あの」感じが好きだ。北海道では、夜の旭川駅に汽車ファンが大勢集まっていて、やがて各々がそれぞれの方角へ向かう夜行列車に乗って出かけていく。本当に楽しかったなぁ。

現代では、めったなことで夜汽車に乗る機会などない。鉄道ファンのみならず、旅好きな方々なら一度は体験してみたいと思っているのではないだろうか。

「鉄道文化の街・高崎」というコンセプトで「ジコマン改造計画夢物語」をまたまた考えてみた。

近々、大宮(正確には日進かな)に交通博物館が移転する。この施設は非常に知名度が高く、おそらく全国からお客さんが集まってくるだろう。そこからわずか数十キロ北へ向かえば動態保存している鉄道リソースが豊富な高崎があるのだ。これらをリンクさせないなんて絶対にもったいない。必ず全国区の集客につながる。

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各地から大宮までやってきた人たちは、ほぼ一日の交通博物館見学を終えたら夕方の電車で高崎まで足を運ぶ。高崎から「夜汽車」に乗るためだ。日も暮れてくる夜7時頃、高崎発下仁田行きのドイツ・ジーメンス製「デキ」の牽く二両編成の旧型客車が0番線ホームに佇んでいる。電気機関車と茶色の古い客車。どちらも飾り気のない普通の姿だ。車内の静まり返った雰囲気は、現代の電車では感じることができないものだろう。やがて独特のホイッスルを響かせて列車は出て行く。車窓には暮れなずむ上州の田舎の風景が流れる。

沿線には世界遺産に登録を目指している文化財「富岡製糸工場」もある。鏑川に沿って走るため景色の素晴らしいところもあるのだが、それらは見えずとも鉄橋を渡る音、踏切を過ぎる音など夜汽車は聴覚に訴え続けるのだ。旅心をくすぐられるような静かで小さな駅をいくつも過ぎて、下仁田駅に着く頃は、既に夜の帳が降りている。終着駅ファンの人は、存分に下仁田の夜を味わえるだろう。駅付近には情緒たっぷりの旅館もあるし、なんたって駅の存在そのものが素晴らしいのだから。

鉄道ファンの人は、そのまま折り返し、高崎まで戻る。こちらは近代的なホテルばかりだが、翌日のアクティヴな行動が可能だ。横川へ向かうもいいし、タイミングが合えば上越線のD51、わたらせ渓谷鉄道、高崎第一・第二機関区訪問などいくらでも選択肢がある。もちろん、朝一でたかべんの「上州朝がゆ弁当」などの駅弁をゲットしなければいけないし。

ま、実現するには様々な問題点があるだろうが、疲弊した地方の活性化のみならず、文化的遺産を動態保存することは価値のあることだと思う。実際に集客ができれば、JR、上信電鉄、わたらせ渓谷鉄道等の売り上げにも貢献できるだろうし、宿泊施設などにも好影響を与えるはずだ。さいたま交通博物館等とのアライアンスでツアーを企画すれば、旅行代理店も潤う。

、、、、なんてことを考えていると、楽しいもんです。

ところで、夜汽車の写真を探してネガ漁りしていたら昭和51年頃と思われる高崎駅のカットが出てまいりました。

これは、高崎駅北東部にあった第一機関区跡付近から駅方面を見ております。
扇形機関庫の煙突がこの頃まではあったようですね。

ほぼ同じ位置からのカットEF62の信越本線貨物列車が出発。右端の鉄骨は現高島屋の建築風景です。

やはり同じ位置から客車列車の到着シーンです。ニチイ(現ビブレ)も建築中。日通の貨物駅がありました。

高崎駅北側付近では、両毛線も吾妻線も上越線を走ります。EF12とEF15は頻繁に見かける貨物牽引機でした。

駅北西部にあった信号所

この頃は、いつも郵便車が先頭にくっついてたような気がします。

「とき」懐かしいなぁ。バックは現在の高崎駅東口方面ですがな〜んにもありませんね。

上の写真とほぼ同じ位置から現在の高崎駅

続いて夜間撮影。ディーゼルのいた第一機関区です。

高校一年生の頃、汽車はなくなっちゃったし鉄道ファンから離れ、友達と普通の旅行に出かけ始めた時期ですが、近所では意外と「鉄」な写真を撮っていたようです。毎日のようにカメラを持ち歩いていたからなぁ、、、。狙った写真も多いのですが、その他のコマの方が今となっては断然面白いことに気づきました。これらのカットもほとんどは今まで焼いた事がなかったものばかり。つまり「隣のコマ」シリーズです。

例によってキズだらけ、ゴミだらけ、カビだらけ状態のネガでお恥ずかしい限りですが、、、。


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フリマ [高崎エッセイ]

知り合いにフリマのセミプロがいる。

いつもヤフーオークションに出品している私の「在庫品」(以前、店を経営してた頃の残り物)を彼に頼んでフリマで売ってもらうことにした。今日(13日)の会場は藤岡市から神流川をはさんだ埼玉県神川というところだ。曇りだけれど雨にはならないらしいので例によって「トイザらス号」で会場へ向けて7時過ぎには出発。

まずは、倉賀野町のキリンビール工場跡地を覗く。http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&q=%E5%80%89%E8%B3%80%E9%87%8E%E9%A7%85&ie=UTF8&ll=36.304699,139.040415&spn=0.008387,0.014591&t=k&z=16&om=1

広大な空き地が広がっている。現在、この跡地利用についていろいろ意見交換がおこなわれているようだ。自分としては、まず住宅!だと思うのだが、、、、。とにかく人口増やさなきゃね。

すぐ横は、JR高崎線が走る。倉賀野駅までは徒歩でも数分。都内への通勤可能エリアなのだ。遠方に見える(見えない?)跨線橋が倉賀野駅。

倉賀野は中仙道の宿場町で、旧道に沿って商店が立ち並んでいる。その為、駅前からすぐに住宅地である。もちろん、近所にコンビニや大手スーパーなどが進出しているので不便はない。高崎市街地までも決して遠いというわけではないので住環境は、かなり優れていると思う。「高崎都民」にとって格好のロケーションだ。

烏川を渡ると藤岡市。朝早いため人通りも少ないが、今日は「藤祭り」が開催される予定らしい。
ここも歴史のある古い町で昔から「屋根瓦」が有名。数軒の造り酒屋もある。最近、選挙などで需要のある清酒「当選」も藤岡の地酒だ。http://tousenkura.jp/enngi.html
ここの社長のいう「政治の世界は家業をつぶす」とは、現代のみならず戦前にしてもやはりそうなのか。

お隣の店先には大好きな英国車ミニバンが停まっていた。シゲシゲと眺めてしまった。いいなぁ~。
スライドウィンドウとむき出しのドアヒンジ。大きなセンターメーター。いや~いいねぇ。
ふと、向かいの店をみると、不思議なネーミング。

なんでしょう???共産党のポスターがたくさん貼られていましたが、、、。

藤岡といえば、八高線。関東周辺に残された数少ない非電化単線だ。

ハ高線を走るディーゼルカーは、新しい車両だけれど、味のあるスタイルで好感が持てる。色もシックな感じで風景に溶け込む。

そのまましばらく旧254号線を走ると、やがて神流川の橋を渡る。橋は、中央部が県境になっている。
ここからは、埼玉県だ。JR高崎線の駅にしても高崎からわずか3つめ神保原は隣県なのだ。在来線でも新幹線でも神流川を渡る時の景色は好きだ。なんだか遠くへ来たような気持にさせる。
川を渡ればフリマの会場はすぐ近く。道の駅「神川」の向かい側の広場がそれだ。

今日の参加者は約100名ほど。参加費が2000円~3000円。毎週のように開催しているから、親族で管理している主催者は、かなりの利益をあげているようだ。ナルホドね。そういうことだったのかぁ。空き地に白線敷いて駐車スペースを作り料金を徴収するだけだ。あとは、毎月発行される「フリマの本」に開催日時等をアップする。一度根付いてしまえば、効率の高い収入源になるものだ。

さて、私の出品商品は、すぐにいくつか売れてしまい一時間ほどで会場を後にした。通勤電車の中から見ていた新町駅近くの醤油工場を見に行きたかったのだ。


電車から見ていても風情のある建物だった。日曜日なので誰もいなかったが、普段はそれなりに活気がある。こういう風景は残してほしいなぁ。

新町からは、神流川に沿ってサイクリングロードが整備されているようなので、そこを走る。そのまま、高崎まで帰れるようだ。烏川と合流するあたりでは、ラジコンの飛行機がキリモミ飛行をくり返している。かなり風が強いのに見事な操縦。白鷺や鴨やいろいろな野鳥がたむろしている上を誘うように飛びまわる。


↑よ~く見ると、右下に白鷺、真ん中あたりにラジコン機が見えるんです。

このあたりの河川敷には、いくつもの野球場とサッカーのグラウンドが混在していて、休日には賑やかな歓声が響き渡ります。少年野球に興じる子供達とその家族の幸せそうな姿を見ていたら、グッとくるものがありました。以前、TBSラジオの大沢悠里アナが富士山頂から生放送している時、雄大な景色とちっぽけな人間の生活を見比べて、思わず「みんなの幸せを祈らずにはいられません」と感涙にむせいで言葉に詰まってしまった事を思い出した。確か谷村新司の「すばる」を聴いていたんだったっけな。
ま、とにかく寒々しい話題ばかりの世の中、この河川敷で過ごせている幸せを離さないで欲しいものだ。

で、「群馬の森」へ向かう。http://www.gunma-park.or.jp/07_gunmanomori/flame.html

ここへは、何度も足を運んでいる。広くうっそうとした森がそのまま公園になっていて大好きなところだ。

公園の中へは自転車を持ち込めないが、周遊道路がサイクリング専用になっている。こもれびの中をゆっくり走る。ん~~、気持イイ!途中、駐輪場が何ヶ所か設置されていて、そこから公園に入ることができるので園内でお弁当を広げる事も可能なのだ。配慮が行き届いているなぁ。

ちょこっと休んでから今度は井野川に沿って自転車専用路を走る。なんだかわからないけれど大きな魚がバシャっと川面を跳ねる。目の前を大きな青大将がゆっくり横切る。鴨が水面を助走して飛び立つ。
さらに強くなってきた風にあおられつつ自宅に向かってペダルを漕いだ。


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碓氷湖を目指して・番外編 [高崎エッセイ]

今回のサイクリングで安中~松井田を再確認しました。
いやぁ~とてもいい町だったんです。ほぼ地元なのに知らない事が多い。
これもクルマ利用に頼ってしまった弊害でなんしょう、、、。
それでは、番外編です。まずは、松井田町。民家の妻面に掲げられた看板。
まず、ナショナル・モートル。モートルねぇ。つまりモーターですよねぇ。
日立モートルとかありましたよね。

続いて、こういうメラミン?看板の定番「官公」。学生服やシャツのカンコーですね。以前は「カンコーがくせいふく~♪というCMソングがありました。鉄道模型のレイアウトには度々登場するおなじみのものです。

これは、安中市内のとある金物店。昭和でしょ。

やはり安中の市街地にあるお店。いい雰囲気なんで、思わず振り返ってしまいました。

とにかく「蔵」が多いんです。喜多方や川越よりも多いんじゃないでしょうか。
しかも、目立った保存状態ではなくて、現役が多いのも特徴です。

屋根の避雷針?にも装飾がありました。(この写真じゃ、解かりませんね)

で、なつかしや。カップヌードルの自動販売機。このタイプは最近見かけないですねぇ。

で、最後に高崎との境界の町安中市板鼻。こんな融水路があったんです。
このあたりは、鯉の養殖が盛んで、その生簀に水を注いでいるのです。
旧国道18号線と旧中仙道の宿場のメインストリートの間にある目立たない水路。
たっぷりと水が流れていていい風情でした。

という具合で無事帰宅いたしました。
高崎~横川はほぼずっと登りなんですが、意外と楽です。当然帰りはず~っと下りなんでさらに楽。
旧中仙道も連休でなければ、こんなに混まないし半日のサイクリングにはいいコースでありました。


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続・碓氷湖を目指して [高崎エッセイ]

横川から旧信越本線に沿って遊歩道が整備されていた。ここはつまり、本線の上り線をレール、バラストごと固めた道であった。鉄分の濃い方々には先刻ご承知のところ、当方寡聞にして存じ上げませんでした。

中学生時代の私は横川へ何度も来ていたけれど、今いるこの場所に立つ事ができるなんて、まさに夢にも思わなかった。だいたい、この区間の「犬走り」を歩くなんて恐ろしくてできなかったのです。なにしろ異様な唸り声をあげる「峠のシェルパ」が重連で走り回っていたのですから。今では立体交差になっちゃった、横川駅から見て最初の踏み切りあたりから峠方向を飽きずに眺めていたものです。

丸山変電所だって電車で峠を通過する時に車窓から垣間見るだけの存在だったのです。「『鉄道ファン』に載っていた煉瓦造りの建物はコレだったんだぁ!!」なんてね。
更に進むと「峠の湯」という新しい日帰り温泉施設に行き着く。
http://www.usuitouge.com/tougenoyu/
本当は、一風呂浴びていきたいところですが、満車の駐車場を見ればイモ洗い状態の惨状、推して知るべし。少なくともGWの湯浴みは敬遠したいですな。群馬県人なら余裕を持って見送れるのですよ。
さて、この「峠の湯」いったいどの辺りにできていたのか?出口を辿って行くと、あら!ココでした。

この坂本宿は昔から雰囲気が変わっていません。峠から見る夕暮れの宿場町はいいですよ~。
ここも「安政の遠足」のコースです。こんなところを走るのです。

足元に白線で矢印が書いてありますが、ここから本当の旧中仙道を文字通り登るのです。

安中市も粋な企画を立てましたね~。こういうイヴェントに興奮する人々(念入りにコースの下見をしに来ていた方々)が好きだなぁ。実は、帰り道に安中市街地の旧中仙道を走り久々に感動しました。

さ、いよいよ目的地「碓氷湖」が近づいてまいりました。坂本宿からは目と鼻の先。もうひとつの愛車ルノーキャトルで碓氷峠旧道を走っていた頃は、まだ裏寂れて少々不気味な感じのする場所だったんです。「湖」を見下ろす位置にちょっとした喫茶店みたいな建物とMiniを初めとしたクルマ達が所狭しと置かれていました。どういうわけか、仏車も多かったなぁ。今はどうなっているんでしょう?

到着した碓氷湖はダム湖なんですが、数年前に整備されたようです。湖畔を一周する遊歩道もありました。水辺に腰を下ろして休んでいると、トカゲ(何でしょう?カナヘビ?ヤモリ?)がちょろちょろと。
蛇はダメだけど、トカゲは大丈夫なんですよね、私。なかなかカワイイ!

目的地に到着したら、他の観光客が徒歩で先を急いでいるのを見て「あ!」と思いました。
みんなあの「メガネ橋」(碓氷橋)に向かってるんですね。なんと、歩いて橋まで行けるのです。知らなかった!しかも昔から怖いけれど歩いてみたかったレンガのトンネルもくぐれる。こりゃ、行くしかありません。目的地変更。碓氷橋を目指しましょう。
例の湖が見下ろせるお店は元気に営業中でした。しかもそこにはなんとルノーキャトルも置いてあるではありませんか!お好きなんでしょうねぇ。

あっという間に碓氷橋へ到着。

この視点は、憧れでしたねぇ。国道から何度か登ってみようとトライして一度だけ登った事がありました。
今では、簡単にくる事ができます。橋の上では、地元のボランティアガイドによる解説つき。これも充実してます。ますます、安中・松井田のファンになってしまった。

つづく、、、。


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碓氷湖を目指して [高崎エッセイ]

明日(5/5)からは天気が下り坂らしい。
じゃぁ、行くっきゃない。ということで今日は快晴の中仙道を突っ走ろう。
高崎市街地の旧中仙道「赤坂」から出発。坂を下り醤油工場の先を北へ折れる。
昔の中仙道である。まだまだ昭和の「におい」を残す町だ。
君が代橋で烏川を渡り旧18号線を西へ向かう。高崎だるまの製造家の軒先を過ぎ碓氷川のサイクリングロードへ。だって、国道は渋滞だし裏道である旧道も続々県外ナンバーがすり抜けているんだもん。危なくってしょうがないからね。

碓氷川沿いの道は野鳥の楽園かも?とにかく、うるさいくらいの鳴き声が響き渡ってる。
いったい何種類くらいの鳥が隠れているのだろう。とか思いながら走っていたらいつの間にか川の名前が九十九川に!あれ、いつ変わったの?

このあたりで「碓氷川サイクリングロード」は忽然となくなった。とほほ。なんだかなぁ、、、、。仕方ないので旧中仙道を走るべく一般道の坂を登る。我がトイザらス号は変速機(シマノ アクタス)は調子がすこぶる悪い。ワイヤーが伸びきっているようで変速できず、一番重いギアで固定されているのだ。こりゃ、つらいっす。時々一段だけ落ちたり、ギアが抜けるようなガクガクが、特に登りで突然起こる。これまた、つらい。なんとか直したいな。ま、ステッカーを見ると94年製だもんな。
13年ものかぁ。先日、福岡時代の写真に新車時のものを発見。ピッカピカだった。
ま、とにかくアップダウンをくり返し旧中仙道へ。さっそくフォトジェニックな被写体が次々と現れてきた。

今日のカメラはFinePix40i。楽チンだ。
松井田の市街地。

ところで、群馬の人々は「妙義山」を「みよぎ」と呼ぶ。「みょうぎ」ではないのだ。
「草津」を「くさづ」と呼ぶのは「臭い水」から来ているらしいけれど、「みよぎ」も漢字は後から付いたんじゃないかなぁ。よく読めないけれど実は「妙義登山口」って書いてあります。↓

さて、5月13日(日)は「安政の遠足」なんだそうです。http://www.city.annaka.gunma.jp/news/tooashi.html


道理で、地図を片手に歩いている人をチラホラ見かけました。
ここまで来れば、横川もすぐです。こんなお地蔵様も。

横川駅俯瞰図。国道は渋滞中。釜飯のおぎのやドライブインが見えます。

駅前の「おぎのや」

この店の前にある側溝のカバーが「ラックレール」なのは有名ですね。

横川鉄道文化村は大盛況。国道18号線の渋滞はここの駐車場へ乗り入れるクルマが作っていたのだった。

つづく、、、。


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ヘンな歩道橋 [高崎エッセイ]

うららかな五月晴れのGW。今日も我がトイザらス号でひがなトロトロと走ってみました。
休日は午前中が勝負。早朝には出立。午後は自宅で過ごすのがキホンなのだ。

本日は、訳あって前橋へ向かう。
自分の通っていた小中学校の近くを通り、JR上越線に沿って北上。
新しい駅「高崎問屋町」を過ぎ、高崎環状線の高架をくぐり住宅地の中を鼻歌交じりに走っていた。

問題の歩道橋はここで出会ったのだ。
http://maps.google.co.jp/maps?f=q&hl=ja&q=%E9%AB%98%E5%B4%8E&layer=&ie=UTF8&z=17&ll=36.350164,139.019237&spn=0.004191,0.007296&om=1
この踏み切りはず~っと昔からあった。多くはないが何度か渡った事がある。
上越線も新幹線開通後は、直通列車も少なくなった。この踏み切りも決して開かずの踏み切りではない。
また、このあたり以前に比べ多少住宅が増えたとは思うが、密集地とは言えない。
周囲にはのんびりと畑を耕す住民も散見される。そんな場所なのだ。

そこにド~ンとこんなものがマタガッテいる。

この跨線橋(歩道橋?)は、明らかにすぐ脇の踏み切りの用途と同じ目的のために造られている、、、としか考えられない。つまり上越線を横切るためである。しかし当然ながら、徒歩はもちろん、自転車を押してまで高低差約5mにもおよぶ階段を使用したエクササイズに日々精を出す住民などいるわけがない。

もしも「露天ジム」以外に用途があるというなら、上越線の列車撮影の「お立ち台」か上信越の山並みを見渡す「展望台」のみである。グーグルマップの衛星写真で見るとまだ、この跨線橋は出来上がっていないようだ。つい最近、完成したのだろう。市は、この歩道橋をいったい何のために造ったというのだろうか?
ぜひ、質問してみたいと思う。

ところで、その後高崎市から吉岡町を通って前橋に入ったのだが、利根川にかかる新しい大きな橋からの眺めは素晴らしい。特に赤城山から上越国境の山並みの雄大さは、いかに自分の存在がとるに足らない小さなものであるかを痛感させられる。橋の上からは前橋と利根川の美しい風景も見ることができる。

この橋は、国道17号線と群馬郡吉岡町をつなぐ重要なもので、このところ開発が進む吉岡町へのアクセスが至極便利なものとなった。同時に中心街の空洞化に悩む前橋にとって商業人口の流出を加速させる、片方だけ研ぎ澄まされた諸刃の剣なのだ。

もともと上州の街道は大きく分けて中仙道、三国街道、例幣使街道などがあり、現在の前橋市中心街の立地は、これら街道筋からは若干離れている。いわば、近代に意識的な都市建設がなされた。その為、中心街に行く場合、一番近くを通る三国街道からも利根川を一旦渡ることを強いられる。市の北と南にある橋付近は常に渋滞し、経済活動にも支障をきたしていた。その真ん中に吉岡大橋ができたのだ。大型量販店の出店とあいまってこの橋の通行需要は非常に高い。
ところが、さらにもう一本利根川に橋を架けるというのだ。
http://www.ktr.mlit.go.jp/takasaki/road/17maeshibu.htm#01
これからの日本は人口がどんどん減っていく。クルマの交通量も右肩上がりではなくなるはずだ。
このバイパスが本当に必要なのだろうか?

公共事業や新しい道路の建設の全てが悪いわけでは当然ないのだが、、、。


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パチンコと格差社会 [高崎エッセイ]

高崎の労働者階級の人々に対して「ご趣味は?」
問いかけると、十中八九「パチンコ」と答えるのである。


趣味?という定義にまず、疑問が残る。そんなものは「趣味」ではなくてただの「娯楽」だ、、、というツッコミは置いといて。

労働者たちの始業時間が7:30とか8:00とかで終業時間が17:00から18:00。
仕事を終えたワカモノたちは、脇目もふらずに、パチンコ屋に直行する。ワカモノのみならず中高年、しかも女性までもが「くわえタバコ」でハンドルを握り目的地の駐車場へと滑り込む。彼らの頭の中には銀色の玉かコイン、液晶画面とLEDしか既に存在していない。以前と異なり最近のパチンコ屋の営業時間は、なんとPM11:00である。閉店時間までねばって帰宅して風呂に入って寝る。目を閉じると先ほどまで凝視していた液晶画面が甦り寝付けない。

翌日の職場は、昨夜の釣果について満面の笑みをたたえる者(高利で借りているだけなのに)、失ったカネが半月分の給料である事を嘆く者、どこぞに新店がオープンしたという情報に深い興味を示す者など、悲喜こもごもである。閉塞された工場のコミュニティにおいて一番の問題点は、当然ながら人間関係だ。それは外部との接触が少なからずありうる職場とはまったく違う。学校におけるいじめ同様、職場の仲間との共通の話題なしに数十年にもわたる孤立した就業には耐えられる人間などいるはずがない。

初めは気の進まぬ者もいたのだろう。しかし、連日聞かされる彼らの一喜一憂に頷く事しかできない自分の身の置き場に悩み、なけなしの賃金からいくらかを投資。ビギナーズラックも手伝って当初は大儲け。だが、その後は儲けた分も吐き出して、いつの間にか預金にも手をつける事になる。気づいた時には、数万円スッてもニヒルに構えられる一端のパチンカーだ。おそらく、そんなストーリーに当てはまる労働者は数え切れないほどいるだろう。

労働者を定着させる為に昔から雇用者側は様々なシステムを考えてきたが、現代では意図せずともパチンコ屋コミュニティが自然発生して機能しているわけだ。

そのコミュニティで交わされる話題は狭くてつまらない。当然だ。パチンコとは、ただただ受身に徹し、ひたすら客体である自分の心と身体を弛緩させ続ける作業に莫大な自己資金を投入することである。存分な軍資金のないものは去れと一蹴されてしまうのだ。彼らは次の給料日を待つ。自宅→職場→パチンコ屋→自宅という行動パターンを守り、来月の給料日までの日々を繋いでゆく。一度陥ってしまったこの「負のスパイラル」からも逃げ出すのは容易ではない。既にマトモな人間関係は崩れてしまい、話が出来るのはパチンカー同志諸兄のみ。もはや、向上心もうせ、気力も見当たらない。こうして格差社会のヒエラルキー下部に押し込められてしまうのだ。

ところで最近、新聞には毎日のようにパチンコ屋各店の折込チラシが数種類も入ってくるようになった。これは非常に怪しい。どう考えても多すぎるのだ。単に節税対策もあるのだろうけれど、新聞専売店に対するバラ撒きという感じがする。「新聞はエリートが作って、○○○が売る。」という映画のコピーがあったが、パチンコ業界の暗部にあまりクビを突っ込むなという暗黙の了解事項があるというのはうがった見方だろうか。当初は在日朝鮮人の独占だった業界に様々な横やりを入れ警察が介入し利権をむさぼった。そして規制緩和という追い風を吹かせ大手企業を続々と参入させた。もちろん、官僚たちが関連団体に天下りするためだ。彼らは、自分たちのフトコロを肥やす事だけには驚くほどの執着心をあらわす。そして新聞はそれを書けない。結果、昔からの街中パチンコ屋は淘汰され、日本企業の経営する大手の寡占化が広まってゆく。

ソ連時代のゴルバチョフをはじめとする共産党幹部に「世界でもっとも成功した社会主義国家」と絶賛され、彼らがその手法を学んだとされる日本。格差社会をより強固な安定したものとするためにパチンコ屋は存在する。現代のアヘンなのだ。


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