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パチンコと格差社会 [高崎エッセイ]

高崎の労働者階級の人々に対して「ご趣味は?」
問いかけると、十中八九「パチンコ」と答えるのである。


趣味?という定義にまず、疑問が残る。そんなものは「趣味」ではなくてただの「娯楽」だ、、、というツッコミは置いといて。

労働者たちの始業時間が7:30とか8:00とかで終業時間が17:00から18:00。
仕事を終えたワカモノたちは、脇目もふらずに、パチンコ屋に直行する。ワカモノのみならず中高年、しかも女性までもが「くわえタバコ」でハンドルを握り目的地の駐車場へと滑り込む。彼らの頭の中には銀色の玉かコイン、液晶画面とLEDしか既に存在していない。以前と異なり最近のパチンコ屋の営業時間は、なんとPM11:00である。閉店時間までねばって帰宅して風呂に入って寝る。目を閉じると先ほどまで凝視していた液晶画面が甦り寝付けない。

翌日の職場は、昨夜の釣果について満面の笑みをたたえる者(高利で借りているだけなのに)、失ったカネが半月分の給料である事を嘆く者、どこぞに新店がオープンしたという情報に深い興味を示す者など、悲喜こもごもである。閉塞された工場のコミュニティにおいて一番の問題点は、当然ながら人間関係だ。それは外部との接触が少なからずありうる職場とはまったく違う。学校におけるいじめ同様、職場の仲間との共通の話題なしに数十年にもわたる孤立した就業には耐えられる人間などいるはずがない。

初めは気の進まぬ者もいたのだろう。しかし、連日聞かされる彼らの一喜一憂に頷く事しかできない自分の身の置き場に悩み、なけなしの賃金からいくらかを投資。ビギナーズラックも手伝って当初は大儲け。だが、その後は儲けた分も吐き出して、いつの間にか預金にも手をつける事になる。気づいた時には、数万円スッてもニヒルに構えられる一端のパチンカーだ。おそらく、そんなストーリーに当てはまる労働者は数え切れないほどいるだろう。

労働者を定着させる為に昔から雇用者側は様々なシステムを考えてきたが、現代では意図せずともパチンコ屋コミュニティが自然発生して機能しているわけだ。

そのコミュニティで交わされる話題は狭くてつまらない。当然だ。パチンコとは、ただただ受身に徹し、ひたすら客体である自分の心と身体を弛緩させ続ける作業に莫大な自己資金を投入することである。存分な軍資金のないものは去れと一蹴されてしまうのだ。彼らは次の給料日を待つ。自宅→職場→パチンコ屋→自宅という行動パターンを守り、来月の給料日までの日々を繋いでゆく。一度陥ってしまったこの「負のスパイラル」からも逃げ出すのは容易ではない。既にマトモな人間関係は崩れてしまい、話が出来るのはパチンカー同志諸兄のみ。もはや、向上心もうせ、気力も見当たらない。こうして格差社会のヒエラルキー下部に押し込められてしまうのだ。

ところで最近、新聞には毎日のようにパチンコ屋各店の折込チラシが数種類も入ってくるようになった。これは非常に怪しい。どう考えても多すぎるのだ。単に節税対策もあるのだろうけれど、新聞専売店に対するバラ撒きという感じがする。「新聞はエリートが作って、○○○が売る。」という映画のコピーがあったが、パチンコ業界の暗部にあまりクビを突っ込むなという暗黙の了解事項があるというのはうがった見方だろうか。当初は在日朝鮮人の独占だった業界に様々な横やりを入れ警察が介入し利権をむさぼった。そして規制緩和という追い風を吹かせ大手企業を続々と参入させた。もちろん、官僚たちが関連団体に天下りするためだ。彼らは、自分たちのフトコロを肥やす事だけには驚くほどの執着心をあらわす。そして新聞はそれを書けない。結果、昔からの街中パチンコ屋は淘汰され、日本企業の経営する大手の寡占化が広まってゆく。

ソ連時代のゴルバチョフをはじめとする共産党幹部に「世界でもっとも成功した社会主義国家」と絶賛され、彼らがその手法を学んだとされる日本。格差社会をより強固な安定したものとするためにパチンコ屋は存在する。現代のアヘンなのだ。


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