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夜汽車の街(ジコマン高崎改造計画 夢物語) [高崎エッセイ]

高崎を夜汽車の出る街にしたい。仕事帰り、深夜の高崎線各駅停車に揺られながら思う。

僕らの世代くらいまでは、ほとんどの人が夜汽車に乗った経験を持っている。
毎月のように出かけた汽車撮影の旅は、ほとんどが夜行列車だった。上野駅や新宿駅の「あの」感じが好きだ。北海道では、夜の旭川駅に汽車ファンが大勢集まっていて、やがて各々がそれぞれの方角へ向かう夜行列車に乗って出かけていく。本当に楽しかったなぁ。

現代では、めったなことで夜汽車に乗る機会などない。鉄道ファンのみならず、旅好きな方々なら一度は体験してみたいと思っているのではないだろうか。

「鉄道文化の街・高崎」というコンセプトで「ジコマン改造計画夢物語」をまたまた考えてみた。

近々、大宮(正確には日進かな)に交通博物館が移転する。この施設は非常に知名度が高く、おそらく全国からお客さんが集まってくるだろう。そこからわずか数十キロ北へ向かえば動態保存している鉄道リソースが豊富な高崎があるのだ。これらをリンクさせないなんて絶対にもったいない。必ず全国区の集客につながる。

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各地から大宮までやってきた人たちは、ほぼ一日の交通博物館見学を終えたら夕方の電車で高崎まで足を運ぶ。高崎から「夜汽車」に乗るためだ。日も暮れてくる夜7時頃、高崎発下仁田行きのドイツ・ジーメンス製「デキ」の牽く二両編成の旧型客車が0番線ホームに佇んでいる。電気機関車と茶色の古い客車。どちらも飾り気のない普通の姿だ。車内の静まり返った雰囲気は、現代の電車では感じることができないものだろう。やがて独特のホイッスルを響かせて列車は出て行く。車窓には暮れなずむ上州の田舎の風景が流れる。

沿線には世界遺産に登録を目指している文化財「富岡製糸工場」もある。鏑川に沿って走るため景色の素晴らしいところもあるのだが、それらは見えずとも鉄橋を渡る音、踏切を過ぎる音など夜汽車は聴覚に訴え続けるのだ。旅心をくすぐられるような静かで小さな駅をいくつも過ぎて、下仁田駅に着く頃は、既に夜の帳が降りている。終着駅ファンの人は、存分に下仁田の夜を味わえるだろう。駅付近には情緒たっぷりの旅館もあるし、なんたって駅の存在そのものが素晴らしいのだから。

鉄道ファンの人は、そのまま折り返し、高崎まで戻る。こちらは近代的なホテルばかりだが、翌日のアクティヴな行動が可能だ。横川へ向かうもいいし、タイミングが合えば上越線のD51、わたらせ渓谷鉄道、高崎第一・第二機関区訪問などいくらでも選択肢がある。もちろん、朝一でたかべんの「上州朝がゆ弁当」などの駅弁をゲットしなければいけないし。

ま、実現するには様々な問題点があるだろうが、疲弊した地方の活性化のみならず、文化的遺産を動態保存することは価値のあることだと思う。実際に集客ができれば、JR、上信電鉄、わたらせ渓谷鉄道等の売り上げにも貢献できるだろうし、宿泊施設などにも好影響を与えるはずだ。さいたま交通博物館等とのアライアンスでツアーを企画すれば、旅行代理店も潤う。

、、、、なんてことを考えていると、楽しいもんです。

ところで、夜汽車の写真を探してネガ漁りしていたら昭和51年頃と思われる高崎駅のカットが出てまいりました。

これは、高崎駅北東部にあった第一機関区跡付近から駅方面を見ております。
扇形機関庫の煙突がこの頃まではあったようですね。

ほぼ同じ位置からのカットEF62の信越本線貨物列車が出発。右端の鉄骨は現高島屋の建築風景です。

やはり同じ位置から客車列車の到着シーンです。ニチイ(現ビブレ)も建築中。日通の貨物駅がありました。

高崎駅北側付近では、両毛線も吾妻線も上越線を走ります。EF12とEF15は頻繁に見かける貨物牽引機でした。

駅北西部にあった信号所

この頃は、いつも郵便車が先頭にくっついてたような気がします。

「とき」懐かしいなぁ。バックは現在の高崎駅東口方面ですがな〜んにもありませんね。

上の写真とほぼ同じ位置から現在の高崎駅

続いて夜間撮影。ディーゼルのいた第一機関区です。

高校一年生の頃、汽車はなくなっちゃったし鉄道ファンから離れ、友達と普通の旅行に出かけ始めた時期ですが、近所では意外と「鉄」な写真を撮っていたようです。毎日のようにカメラを持ち歩いていたからなぁ、、、。狙った写真も多いのですが、その他のコマの方が今となっては断然面白いことに気づきました。これらのカットもほとんどは今まで焼いた事がなかったものばかり。つまり「隣のコマ」シリーズです。

例によってキズだらけ、ゴミだらけ、カビだらけ状態のネガでお恥ずかしい限りですが、、、。


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コメント 3

はじめまして・・・
どこでもそうですが「高崎よお前もか・・・」と言うおもいで
拝見しました
「夜汽車」・・今の人たちには死語でしょうね
デカ目の115が然も9000番台の臨時仕業なんて
いまでは絶対にあり得ない光景ですね
by (2007-07-19 21:31) 

quatre-l

>HUDSONさま
コメントありがとうございます。
さっそくHP拝見させていただき、懐かしい気持でいっぱいです。
おそらく私よりちょっと先輩でしょうか。
奥中山(昨年、東北本線を各停で乗り鉄通過しました)や磐越東線などヨンサントオでの蒸機廃止路線に間に合った方々のお話を羨ましくお聞きしてます。

インターネットのお陰でたくさんの貴重な写真にめぐり合うことができるようになりました。ホントに楽しいですね~。

私ももう少々写真をアップしております。よろしければご覧ください。
http://www.fuvic.com/photo.html

今後ともよろしくお願いいたします。
by quatre-l (2007-07-19 22:34) 

quatre-lさん
私のページもご覧いただき有難うございます。
拝見いたしました。
日鉄羽鶴の現役を訪問されたんですね。
私はもう火を落としたころ一度だけ行きましたが。
懐かしい写真を見せていただき感激です。

もうひとつSLのHPがあります。
お暇なときにご覧いただければ嬉しいです。
http://www.geocities.jp/kemuri48/

こちらこそ 宜しくお願いいたします。
by (2007-07-20 12:39) 

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