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北軽井沢合宿!(その1) [旅行記]

先々週の台風9号の爪あとがいたるところに残っている群馬~長野県境「二度上峠」。
今日も霧が立ち込めていた。天気予報じゃ晴れなんだけどナ。

二度上げ峠からもあたりの山の姿は見えない。

ホントなら雄大な浅間山の姿が望めるのですが。
ま、一年を通して山頂付近は雲がかかることが多いのですね。

明日からの天気回復に期待をしつつ北軽井沢サンランドへ向かう。
久しぶりに飲んだ「エビスビール」の濃さにあらためて驚き、「霧島」ロックスで夜はふける。


で、翌朝、、、、。
普段の行いがいいから晴れましたぁ。

ギター製作家Iさんの別荘のまわりは、木々に覆われていてマイナスイオンたっぷり。

朝露にぬれた緑がきれいだ。

ちょっと肌寒いくらいの快晴の朝、好きですねぇ。

さて、本日は草津温泉へ。
実は、去年の合宿の際、普段平日しか草津に行かない我々は「連休の温泉」の混み方を知らなかったのです。のんびり午後から出かけたらトンでもない状況でした。その教訓を踏まえて午前中には草津入り。「ベルツ温泉センター」という比較的新しい温泉施設の駐車場に到着。

900円の入場料。二階にあるお風呂からは外の景色が見えます。サウナもあるんだけれど、肝心のお湯が今ひとつピンとこなかったです。お湯の温度もちょっと低め(草津にしては、ですが)で独特の強酸泉らしさに欠けるところがある。ただ、天狗山の目の前なのでスキー客にとっては、ありがたい立地だと思います。

元・草軽鉄道の線路後が道路になっていて別荘~草津間の最短路なのです。
この道の沿線には、地元の農家の方々が採れたて野菜を販売してます。
夕食の材料を仕入れて帰ります。
まず、素麺瓜(ソーメンウリ)不思議な食感のサイドメニューができます。

泥つき大根。我々の前にいたオバチャンたちは大量に買い込んでメチャクチャ値切ってました。

デッカイ茄子。べーなすって書いてありますな。

どれも値段があってないようなものだから、交渉しだいで安くなります。

遅いお昼は、北軽井沢の蕎麦屋さんへ。ボリュームたっぷりの蕎麦とてんぷらでお腹いっぱいです。
で、本日のメインイベント「ゴルフ」なのでした。

途中から小雨が降ってきたけれど、大笑いのショートコース。面白いねぇ、ゴルフ。ハマりそうです。


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青春18きっぷで青森旅行(恒例)その4 [旅行記]

津軽新城駅の朝(新青森方向)

奥羽本線、津軽新城駅からAM7:20発大館行きで帰路につきます。
ちょっと味気ない701系電車のベンチシートに揺られていると、下り寝台特急「あけぼの」とすれ違う。
数年前は、これに乗って青森へ来たのを思い出す。深夜、同行者とデッキでず~っと酒盛り。
シメに高崎駅前で買った「吉野家」の牛丼「お持ち帰り」が美味かったっけ。

さて、大館に着く直前、転車台を発見。さっそく近寄ってみた。

ここにC61とかD51の巨体が載っている姿を想像すると、楽しい。
雪深い矢立超えはさぞ素晴らしかっただろう。

踏切を渡り駅の南側へまわると別の踏み切りがあった。

大館に私鉄があったかな?と考えたら、これは昔の同和鉱業線(正式名称不明)だと気づいた。既に貨物線となっていて旅客営業していないようだ。

その後、町中をぶらぶらしていると、この時間からお客さんが結構入っているお店を見つけた。
ここのレジのオバちゃんがすごい。二人がそれぞれレジ係なんだけど、どちらも暗算。つまりレジスターは置いてない。で、次から次へと買い物カゴから商品を取り出してゆく。全て暗算で、いくら、いくら~という具合。見事なもんだ。

私もブランチ用におにぎり×2、焼きそば×1、ペットボトルのお茶×2、全部で500円ナリ。
メチャクチャ安い。人気がある店なのがわかる。

その後、10:03発秋田行きに乗車。

つづく。


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青春18きっぷで青森旅行 [旅行記]

青森駅前

友人が定期検査で市民病院へ行くという。ついでに子供たちも診療カードを作るらしい。
病院の待合室で待ってるのもつまらないので、「歩き」でうろつくことにした。

青森市民病院

港まで歩くときれいな陸奥湾を見ることができる。岸壁から海を覗き込むと、名前はわからないけれど、元気よく泳ぐ小魚がたくさんいた。このあたりでも海は透明だ。潮風に吹かれながら海岸通りを歩く。
昔ながらの標識があった。文字の感じも古そうでいい感じ。

青森駅前をうろうろする。どこにも銀座はあるけれど、こりゃまたかわいい銀座。
事情が許せば、どこかで酒を飲みたいものだ。ホタテやイカの焼き物も出してくれる店がある。
外に掲げてある値段も良心的。いいなぁ。

続いて、新町通りをうろうろ、、、、。駅近辺にはAUGA(http://www.auga.co.jp/com/index.html)ができて昔ながらのりんご売りや魚介類の市場は少なくなった。しかし、まだまだこんないい雰囲気をかもす町があるのです。つまり、こういう賑わいが町には必要なんですねぇ。

大型SCがどんどん進出して、その中にはニセモノの古きよき町並みが再現されていたりします。
しかし、このあたりにはホンモノがいたるところに存在するから、わざわざ造る必要なんてないんです。
いいですよ。青森。


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青春18きっぷで青森旅行(恒例) その2 [旅行記]

青森に行く目的は友人一家に会いに行くことだけれど、「浅虫の花火大会」と「ねぶた祭り」 はとりあえず押さえている。どちらも毎年のことなので勝手知ったるもの。浅虫では、市内で買った発泡酒をクーラーバッグに入れて持ち込み「ゆ~さ浅虫」(http://www.yu-sa.jp/)の屋台で「ホタテ(二枚150円)」「イカ焼き(250円)」などを仕入れて食べる。非常に安上がり!です。「ねぶた」は以前のように「跳ねる」ことはなくなったけれど、あの喧騒の中にいることが無性に心地よいのです。

■意外と気持悪くないイモムシ。

津軽中里で乗馬をするというので一緒についていった。一面の田んぼの真ん中にファームがあって、何頭もの馬やポニーがいる。友人の奥様は、慣れた手つきで馬の世話をする。子供達も見よう見まねで馬にブラシをかけたりしている。馬の世話ってのは、外から見る以上にタイヘンだ。これだけでも体力のいる作業だけど、皮膚病などの細かなケアも常に必要らしい。皮膚病用に使われていたのが、以前、温泉偽装に使われた「温泉ハップ」。これが馬の皮膚にいいのだそうだ。

このファームの近くにはちょっとした水溜りがあって青ガエルやガマガエルがたくさんいた。昔の自分ならバシバシ捕まえて遊んだと思うのだが、最近の子供にはそうでもないようだ。こっちの方が夢中になってる!
■馬は手綱と鞍を外してあげると嬉しそうに飛び回り寝転がって砂浴びをする。気持良さそうだ。

実は今回、初めて「三内丸山遺跡」へ行った。友人宅からは目と鼻の距離だったのだが、なかなか機会がなかった。縄文時代、東京全体がフィヨルドの中にあってその名残が今でも存在するという「アースダイバー」を読んでから縄文時代というものに非常に興味がわいた。特に墓や祭礼に関するものだ。三内丸山には6本の太い丸太を柱にした遺構が発見されている。
■これは、いったい何だったのだろう?

体験学習コーナーでは、埴輪だか土偶だかの飾り物を作れる。作例を見るとなかなかちゃんとできているではないの。な~んだ教室のオバちゃんがいろいろ教えてくれたのね。

この遺跡のすぐ横を新幹線が通る予定だ。着々と工事が進んでいる。以前なら新幹線造っても採算取れないんだからやめた方がいい、という意見だった。だが、最近はちょっと変わってきた。
八戸まで新幹線で行った時の経験から、やはり地元にとっては必要なのだろうな、という素朴な考えだ。ただし、付随する様々な問題点をクリアしなければいけないとは思う。

■新幹線の高架建設が進む。

つづく、、。


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青春18きっぷで青森旅行(恒例) その1 [旅行記]

■村上から酒田へ向かうキハ40

例によって昨夜というか今朝、27日(金)午前1時過ぎに「ムーンライトえちご」で高崎を出発。
実は、翌日(土曜日)の列車を予約したかったけれど、満席!この時期大人気ですな。
大人気はいいのだが午前1時過ぎに乗車すると、ほとんどの座席を山登りに出かけるハイカー(死語?)たちがゴロンと独り寝で占領していたのです。私の座席にのさばっている熟睡状態のオバさんを恐る恐る起こすと、「誰だ!?」と言わんばかりの眼でジロリと睨みつけられた。

「スミマセン、この席私の予約なんですが、、、。」どうしてこっちが謝らなきゃイケナイのかと思いつつきっぷを見せると、オバさんハッ!と気がついた様子。「あら、ごめんなさい」と慌てて席を空けてくれた。しかし、彼女の友人たちは爆睡中で本来の自分の予約席も当然寝取られて(!)いるのである。その後、あっちへこっちへと寝ぼけマナコで自分のネグラを探し回っていた。

山でのマナーは当然だが、行く途中におけるマナーも考えてもらいたいものだ。決して褒められたものではないぞ~。

■村上を出ると羽越本線はすぐに海沿いに出る。間島駅を過ぎると、よく海水浴に来る柏尾の集落だ。

http://maps.google.co.jp/maps?q=%E7%AC%B9%E5%B7%9D%E6%B5%81%E3%82%8C%E8%A6%B3%E5%85%89%E6%B1%BD%E8%88%B9&lr=lang_ja&ie=UTF8&oe=UTF-8&client=firefox-a&ll=38.293372,139.450665&spn=0.015864,0.029182&z=15&om=1

■桑川駅前には、「岩牡蠣」のノボリが。旬だそうで、食べたいなぁ~。
http://www.xyj.co.jp/sanpoku/chidori/

■間島駅~小波渡駅はとにかく日本海に沿っていて素晴らしい車窓の眺め。キハ40のエンジン音を聞きながら旅情たっぷり。

■越後寒川(えちごかんがわ)駅は海の横。夕陽の時刻は最高のポイントです。
駅を出発する際、昔ながらのエンジン音。昭和にタイムスリップするなぁ。

■国道7号線は内陸側を走り、羽越線には県道345号線が併走する。

■酒田駅で乗り継ぎ時間が約1時間半。港まで歩こうかと思い歩き始める。駅前の商店街はひっそりとしていた。

■途中の神社付近にトンビの大群がいた。何羽ものトンビがくるりと輪を描いていた。

■秋田からは、701系電車に揺られて青森へと向かう。

この電車、この地区では一番ポピュラーなものだけど、いかにも効率重視で長距離を移動する「青春18」族には、無機質に感じられるだろうなぁ。

例によって秋田駅でも1時間半ほどの乗換え時間があったので駅近くの市場へ。途中、食肉市場の前を通ると「日替わりとんかつ定食」のメニューを発見。気になったので急きょ変更。安くてまぁまぁでした。

秋田~青森なんて、それほどの距離でもないのに意外と時間がかかる。去年のブログにも書いたとおり停車時間が長いのだ。小さな無人駅でも数分間停車なんてことがある。やはり青森駅の配線の都合なんだろうな。もともと青函連絡船に接続するため、いわゆるデルタ線状態で現在の津軽線・津軽海峡線と東北本線、奥羽本線が三角の頂点を目指してしまう構造になっているのだ。今度の「青森(?)新幹線」は奥羽本線の新青森という駅に接続予定だから、ますます混乱は続きそうだ。

つづく。


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三沢航空科学館 [旅行記]

今月の終わりには、また青森へ行くことになります。
毎年恒例の「浅虫・花火大会」から「青森ねぶた祭り」めぐりであります。
一年って早いと思っていたけれど、過去のブログを見てみると、あれからまだ一年かって思うことが多くなりました。これって、歳のせい?

ま、ともかく三沢の続きです。
なんだったっけ?
あ、そうそう三沢とアメリカのつながりですね。

この飛行機は「ミス・ビードル号」(http://missveedol.misawasi.com/)といって昭和6年に日本とアメリカ間の太平洋を無着陸横断した初めての飛行機です。三沢市民なら当然誰でも知っている史実。市内の太平洋に面した砂浜にもレプリカが飾ってあります。

米軍基地の置かれるずっと以前からアメリカとの関係があったわけですね。
実際に日本本土として三沢市がアメリカ西海岸とは距離的に最短とのこと。
米軍、航空自衛隊、そして民間機も三沢空港を使用している。その為か市民も飛行機に対する思い入れが強いようで市内には「県立三沢航空科学館」がある。

ここで、私は始めてYS-11の機内に入る事ができた。

福岡在住時、月二回の東京での会議と、月例の那覇出張があったけれど、もっぱらB747や767ばかりで、すでに戦後初の国産機に乗る為には、それなりの努力が必要だった。時々、見かけることがあると一度は乗ってみたいなぁと、かないそうもない願いを心の片隅にぴょこっと芽生えさせるばかり。そのYS-11にこんなところで遭遇するとは思ってもみなかった。国内ではほとんどメジャー機しか乗ったことのない自分には機内の狭さが新鮮で、ますます興味がわいてきた。乗り心地はどんなだったんだろう、、、。

この航空科学館には様々な体験コーナーが用意されて、おそらく小中学校などの遠足、見学コースとしての利用を考えられているのだろう。しかし、あえて言えば、どれも満足のいくコーナーとはいえないと思った。日本中どこにでもあるような「少年科学館」の設備となんら変わらないからだ。「航空科学」を謳うならば、シンプルでカネをかけなくていいから本当に科学的なものを提供すべきだと思う。それと、三沢空港の片隅に立地していいる好条件を生かし、YS-11の動態保存ができないものだろうか。航空ファンである私の友人も成田の航空博物館に雨ざらし状態の同機を見て嘆いていた。三沢の場合、屋内展示なのでそれなりの状態を維持しているけれど、もし、これが飛べるなら、それだけで今後訪れる航空ファンは文字通り飛躍的に増えるはずだ。子供達も本物の国産プロペラ機を感動をもって見つめる事だろう。

まだ、つづく、、、。


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東北のアメリカ [旅行記]

青森県三沢市。我々の世代までは「三沢」といえば、とにもかくにも太田幸司である。

昭和44年、夏の甲子園大会決勝戦。
延長18回をひとりで投げぬき、引き分け再試合。翌日の試合も完投したが敗戦投手となった悲劇の美少年ピッチャー・太田幸司と三沢高校は全国民の注目を集めたのだった。

太田幸司はハーフである。父親は三沢基地に勤務していた日本人、そしては母親はロシア人だ。彼が持って生まれた甘いマスクは混血ゆえのもので、島国人の憧れるエキゾティシズムを刺激してやまなかった。現代で言えば東北高校のダルビッシュ有に通ずるところがある。違うのは、連投を「根性」で押し通す高校野球から将来的な視野を持って管理された投手起用法で戦う現代の高校野球に変わったことだ。プロには進んだが、様々な理由から高校時代ほどの活躍ができなかった太田に比べ、ダルビッシュが快進撃を続けている要因のひとつとして、その育成方法に大きな進歩が見られるのではないだろうか。

太田が引退した後、我々の耳に「三沢市」という名前が入ってくることは少なくなった。そして時々伝わってくる話題は、彼の父親がその昔勤務していたという米軍基地のことかお隣の六ヶ所村に関するニュースがほとんどだ。つい先日だけれど、本来、四国などで獲れる魚「サワラ」が三沢沖で大漁というニュースが流れていた。異常気象の影響とのことだが、不景気にあえぐ地方の漁師さんたちは、思わぬ臨時ボーナスに喜々として仕事をしていた。彼らは温暖化どころか放射能汚染の危険がすぐそこまで来ていることをどこまで知っているのだろうか、、、。

さて、実際に三沢市を歩いてみると、ここは他の地方の「基地の街」同様、アメリカ依存度が非常に高いことがわかった。とにかく、街中アメリカ人(と思われる人)ばかりなのだ、当然である。人口5万人弱の内1万人強が米軍関係者だという。すれ違うクルマの運転手はかなりの確率で外国人。そりゃそうだ、約20%の住民がアメリカ人なんだから。

【夜明け前の基地ゲート付近】

三沢の中心街における商業人口の過疎化は思った以上にひどい。近隣に大手SCが進出したことによる影響が大きいけれど、戦後の成長期から続く米軍依存体質が、新しい商業改革への積極的な取り組みを阻んだ部分もあるのではないかと思う。おそらく二度のオイルショックを経てじわじわと経済の縮小が進んできたのだろう。今となっては各個人商店主になす術もない。しかし彼らは、このアメリカ依存を考えた上で中心市街地活性化にもう一度挑戦しようとしている。米軍基地門前を中心にアメリカ色の強い商店街を新たに作り、近隣住民や観光客誘致に結び付けようという計画だ。題して「アメリカ村(仮称)」。まず、この名称はいかがかと思うけども、、、、。各地方でも同じような地域振興案が起こされているが抜本的な解決策として成功するかどうか難しい問題だろう。

【見事にシャッター通りと化した基地近くの商店街】

全国に存在する空洞化した中心商店街の問題は、商店主たちの「根性」だけではどうしようもない状態だ。そこには、行政の将来性を見据えたバックアップが不可欠である。当然、予算面での力添えも必要なのだが、一番必要なのはソフトだと思う。例えば、規制緩和だ。中心部は当然ながら規制が多い。それがユーザーの手かせ足かせになっている。駐車問題もそのひとつ。大手SCがこぞって郊外に進出するのは、土地代そのものよりもまず膨大な駐車スペースを確保する必要があるからだ。雪の多いこの地域で駐車不可能な商店街など、利用したくてもできない。自分も以前に中心市街地で店を構えていたからわかるのだが、渋滞や事故を誘発させる違法駐車と、管理された駐車解禁道路は根本的に異なる。事実、至るところにパーキングメーターが既に存在しているではないか。(ちなみにパーキングメーターの収益は警察の天下り先である「交通安全協会に収められる。)中心市街地の一方通行路の片側は、時間を設定してもいいから「無料駐車」できるようにすべきではないだろうか。もはや商店主たちに駐車場の確保、維持することはできない。中心商店街の駐車禁止の撤廃にカネはかからないのだ。カネをかけて広い駐車場を整備する方向にいく必要などない。

さて、当初の考えよりも「アメリカ村構想」が面白いかもしれない、と感じたのは6月3日に行われた「アメリカンデー」という米軍基地主催のお祭りを見てからだ。毎年この時期に開催され20万人もの人出があるという。つまり、三沢市の人口自体は少ないけれど、周辺には八戸を初めとして野辺地や十和田といった潜在的なユーザー人口が存在することを知ったのだ。参加者は、毎年恒例のこのイヴェントを楽しみにしているのが熱気とともに感じられる。アメリカというキーワードでこれだけの人が集まるなら「東北のアメリカ・MISAWA」を売り込む方法はまだまだたくさんあると思う。ハコモノに金をかけるのではなく優れたソフトありきだ確信する。

【米軍基地内をバスツアーするアメリカンデー一番人気のイヴェント】

「アメリカンデー」当日は、基地ゲート前にたくさんのテントが立ち並び本場の大型ハンバーガーやらステーキやらを格安販売していた。中にはフィリピン系米国人の開いているフィリピン料理なんかもある。どの店も大盛況で彼らの食生活の一端を垣間見る事ができる。それにしてもデブが多い。肥満体などというナマヤサシイレベルではなく、これぞデブ!といった表現以外に形容できないほどだ。しかもその比率が高い。どうみても生活習慣病予備軍か、すでに病人だ。ビリーズ・ブート・キャンプの本当の必要性が理解できた。

まあしかし、毎日ではなく、たまには高カロリーのジャンクフードを食べたくなるものだ。しかも、ちゃんとしたお店でなく、できれば博多のような手軽さでフラリと入れる屋台がいい。九州には佐世保バーガーや唐津バーガーといったご当地バーガーが人気で、わざわざそれを目的に福岡からドライブに出かける人もいる。三沢基地ゲート前あたりにこんな屋台があれば、青森市(片道50km)からも客が呼べるかもしれない。「お祭り」とは別の日常的な世界にアメリカをちりばめる必要があるだろう。八戸の八食センターが観光客誘致に成功しているが、そのついで(といってなナンだけど)に三沢バーガーを食べてみようってなことになる可能性だってないとは言えない。

【F-16の格納庫を見学できる】

アメリカンデーの人気イヴェント「バスツアー」で基地内を走る。さすがに一万人もの人たちが生活しているのだから広い。スーパーや映画館やボーリング場、何でもある。ピザハットの宅配もある。このバスに乗るまで、こんな当たり前のことに気づかなかった。基地は単なる軍事施設ではなく街なのだ。まさにアメリカという国が三沢にある。青山や六本木よりアメリカ人濃度が濃いという点を、新しい視点で生かせばニーズは必ず見つかる。

【F-16に搭載されるミサイルまで間近に見ることができる】

こういうものまで公開していいのかなぁ、と思うほど。もちろん、マル秘のものはたくさんあるんでしょうけどね。

【基地内にはハマーがいたるところに、、、】

予断だが、日本人の町乗りハマーオーナーを見ていて気づく事がある。彼らは目的地に着いてもクルマから離れようとしないのだ。スキー場の駐車場でも、到着して一時間も経つのに、まだクルマのまわりで準備していたりする。まぁ、気持は解からなくもなけれど、、、。そんなハマーもここに来れば、カローラのように見かけるごく普通の軍用車両なのだ。

【基地前にあるインド料理店のサグ。美味しかった!】

ハンディのタンドールでナンを焼いていた。日本人向けの味付けでいける!もっと食べたかったなぁ~。

【太平洋に面した砂浜へ続く暴風雪林の中。フキがたくさん自生していた。】

以前から、どうしてこの場所に米軍基地があるのかとても不思議だった。しかし、市内の太平洋に面した砂浜でそのなぞの一部が解けた。(つづく)


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六ヶ所村 [旅行記]

新幹線「はやて1号」を終着八戸で「白鳥」に乗り換え、AM10時27分三沢駅に到着。
高崎をAM7時ちょっと前に出てきたので、約3時間半の行程。こりゃ早いや!

青森市民が新幹線を欲しがる気持ちがよく解る。在来線に乗り換えるのとそのまま直通とでは、ワケが違う。たとえば去年「青春18」で各駅停車の旅をしたけれど、その時の所要時間は、17時間ほどだったのだから、今朝はまったく距離感がないのだ。
しかし、いざ三沢駅に降り立ってみると、気温の違いが緯度の違いとして伝わってくる。とにかく、寒い。

知り合いの群馬在住の野辺地出身者が上着を持っていくようにとアドヴァイスしてくれたが、去年の夏の「浅虫温泉毛布事件」http://blog.so-net.ne.jp/quatre-l/2006-08-20を体験している自分は密かにシッカリ用意していたのだ。ただ、それを自宅に置き忘れてきちまったのだから悔しいったらない。こういうのってホントがっかりだ。

三沢駅には地元のKさんが迎えに来てくれていた。

JR三沢駅

Kさんのクルマで、今やシャッター通りと化してしまった三沢の商店街を走る。10年以上前、仕事で来たときは、もう少し賑やかだったような気がする。やはり、郊外に大型SCが進出し中心街の空洞化が加速したようだ。呆れるほどの日本列島総金太郎アメ状態である。しかし、今日の目的地は「核燃料の再処理工場」。日本で唯一、実験ではなく本格的な稼働をしようという青森県北東部の村を訪れるのだ。決してありがたくない日本一なんだろうけども。

実は、以前から六ヶ所村の「再処理工場」の問題点についてネットでいろいろ調べていた。ちょっと前には有名なミュージシャンやアーティストたちが連名で「STOP ROKKASYO!」(http://ja.wikipedia.org/wiki/STOP_ROKKASHO)の活動を始めたりしたこともあって、このところ世間の感心が急速に集まりつつある問題だ。

20年以上前、チェルノブイリ事故当時、広瀬隆氏のベストセラーを読んで、もう牛乳は飲めないとかパスタは食べられなくなるのかと不安でいっぱいだった。あの本を読んで同じような気持になった人は多いと思う。http://www.janjan.jp/link/0610/0609260822/1.phpもちろん、現在では食べたり飲んだりしているのだが、それは決して忘れたわけではなく、常に心のどこかに引っ掛かっている小骨のようなものだ。ネットが一般的になってからは、核問題についても自由に調べることが可能になり、その裏に潜む構造的な利権システムさえあぶり出されてきた。そして、一部に例えば甲状腺ガンの多発という形で現代社会の表層に現れ始めた大事故の影響は、「再処理工場」を止めるに充分すぎる理由だと思う。このページは是非見てほしいと思う。http://cnic.jp/modules/rokkasho/しかし、いまだこういう市民活動に対して拭いきれない妙な他力本願的拒非反応を示す人も多い。考え方はわかるんだけれども、自分は積極的に関われない現実があるし的な感覚だ。んまぁ、それはしかたがないと思う。ただ、調べる価値はあるはずだ。それが可能なネット環境下にいるのだから。


三沢市から六ヶ所村までは約20Km。むつ市までは約30Kmあるので三沢が一番近い市である。いわば、地元。そこにアメリカ軍基地があるのは果たして偶然なのだろうか?そこに興味があった。

海岸線を走ると松林の向こうから太平洋の怒涛が聞こえた。激しい波の打ち寄せる砂浜にはこのあたりでで獲れるホッキ貝の貝殻が無数に散らばっている。ただ、このあたりでは海水浴はしないのだそうだ。波がとても荒いため危険だからだという。確かに白い波頭が幾重にも続き、とてもじゃないが泳げそうにない。言われてみれば、そうか、と思う。海なし県に育った人間には、そんなこともわからない。強いヤマセを浴びながら自然の力に対する畏怖の念を感じる。


六ヶ所村の産業は半農半漁で、全く別に「ゲンネン(原燃)」がある。長芋とイカが名産だ。
旅行中このあたりの海で上がるイカを何度も食べたが、シッカリした歯ごたえの「うまい!」イカだった。
佐賀県呼子へ毎月通っていた私は、イカにはウルサイのだ。青森をはじめ八戸などで揚がるイカもうまい。

尾駮(おぶち)船だまりのイカ釣り船。

飲んだ焼酎も六ヶ所村製。これもイケます。

実は漁港以外に「別の目的」の港がすぐ隣りにある。そこの出入り口付近の交差点には4人もの警備員が立っていた。あとでわかったけれど、ここから核燃料や廃棄物が海上輸送されているのだった。どこの原発も同じだけれど、このあたりも素晴らしいコンディションの舗装路が何本も走っている。国家的大型プロジェクトならではの豪華さだ。


ところで、六ヶ所村に「原子力発電所」はない。あるのは「再処理工場」だ。靖国神社が海外からはお寺やお墓だと勘違いされているのと同様に、ごく普通の人は「原子力発電所があるんでしょ」と思っている。そして、再処理工場についてNO!と言ってるのを「原子力発電反対!」と取り違えている。もちろん原発にも問題はたくさんあるのだけれど、とにかく今、反対派が問題にしているのは「再処理」なのである。推進派もこの点をごちゃ混ぜにし、原子力発電とからめて説得しようとする。いわく「電力不足をどうするの?」的に。

これから日本の人口は、毎年40万人も減るというのにピーク電力不足は本当なのか?という突っ込みは置いておいて、原発推進派も反対派も少なくとも「再処理」についてのみは合意できるはずなのだ。なぜなら再処理には経済的な見地に立ってみても合理性がなく、ウランの再利用には通常の100倍ものコストがかかる。また、再処理によって作られるプルトニウムの使い道は世界的に見ても「原爆」だけなのだ。原爆以外の用途は世界中どこを探しても無い。そして諸外国はこの点を問題視している。非核三原則を謳う日本にとって百害あって一利なしの無用の長物だ。ところが、どういうわけかアメリカのみが日本の立場を理解してくれているのである。とにかく、ほとんど年金問題同様のメチャクチャな論理がまかり通っているのだ。根底に流れる仕組みはちょっと前の社会保険庁となんら変わらない。

一度稼働してしまうと、毎日「原発一年分の放射能」が地上、海中にタレ流しされるという事実を積極的に公表しない国は、いったい何を考えているのだろう。そして、これだけ問題になっている社会保険庁の醜聞をもってしても未だ大本営発表を心待ちにする国民のなんと穏やかなことか。我々はいわば官僚社会主義の崩壊前夜の真っ只中にいるのであって、情報は積極的に獲得しない限り、歪曲されたものしか与えられないことに今更ながら気づいて欲しい。今、年金について不安に思わない国民がいるのだろうか。国(自民党)は、それでも安心だと、まだ言い続けている。核問題は年金問題のようにコトが起きてからでは取り返しのつかない不可逆性を孕んでいる。そこが決定的な違いだ。

太平洋も大いに怒っていたぞ。


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青春18きっぷで青森旅行 最終回 [旅行記]

着いたばかりなのに最終回なのは、事情があります。
実は、五所川原の立佞武多(たちねぶた)を見学中にデジカメのシャッターがまたまた押せなくなってしまったのです。
旅行初日のトラブルも電池切れではなくて、ハードの問題だったようです。
なので、五所川原以降は一枚も写真が撮れませんでした。
http://www.acci.or.jp/adaa/top/natu/goshogawara.html

さて、久しぶりの五所川原市内なのでいろいろ珍しいものが目に付きました。
まずは、郊外にあるエルムの街http://www.elm-no-machi.jp/の食堂フロアに張ってあったアイスクリームのPOP。

五所川原観光の目玉「立佞武多」を力技でムリヤリ関連付けた作品。発案者は結構気に入ってるんじゃないでしょうか。スモールサイズでも4段重ね!6段の売れ行きが気になります~。


焼肉屋さんの名前としては、全国どこにでもある大昌園です。看板のコメントに店主のやさしさがにじみ出ています。「お食事にも、、、」って言ったって他にどういう使い方をしろというのでしょうね。
隣のジュンキッサ。これ、カタカナ表記だと現代の若者にはきっと通じないでしょう。「なに?ジュンキッサって。」

失礼ながら津軽を旅するモノにとっては、非常に安心できるポスターであります。やっぱ、こうでなきゃ、ね。真ん中の笹みどりさんは、演歌そのものの波乱の人生を過ごされてきたようですね。http://www.geocities.jp/sasa_green_midori/sasamidorikoremadenoayumi.htmlがんばって欲しいものです。

これが、噂の立佞武多です。この写真のねぶたは、中型サイズですが、周りの民家の屋根と比べてもかなりの高さである事がお分かりいただけると思います。最大のものは、驚くほど大きい!ですよ。これが、街中をまるで「大魔神」が歩いているように周回するのです。夜景の中に上半身だけが遠くに見えるとホントに怖い感じでした。立佞武多は平成10年頃に復活した祭りで、おそらく今後全国区の人気が出ると思います。市街地にクルマを進入させず、「エルムの街」から送迎バス(往復で100円)で客を運ぶシステムが非常に具合よく、ストレスを感じませんでした。街中のシロウト出店も値段が安くて、なんだかうれしくなりました。

JR五所川原駅です。架線がない駅、いいですね。

最後にオマケです。
初めて使った「青春18きっぷ」は、とても楽しい体験を与えてくれました。
しかし、今回の旅で自分の知識のなさを思い知らされたことがあります。
なんと東北本線は、全線がJRではないということです。つまり八戸~盛岡間は「IGRいわて銀河鉄道」という第三セクター路線だったのです。知りませんでした。青森から高崎までの乗換えスケジュールはJRの「駅ねっと」で検索したのですが、()内にIGRと書かれているのに気づかなかった。
結果、その区間の乗車料金3000円弱を払うことになってしまい、せっかくの格安旅行が台無しです。しかも乗換え時間がどこでも短かかったため、盛岡では危うく乗り遅れそうになりました。
IGRとJRの盛岡駅職員の対応が非常にお粗末で、旅の最後になって少々がっかりです。
せめて車内放送で、八戸からは第三セクターの路線になる旨を知らせてくれれば、混乱しなかったのに。同じ列車には「青春18きっぷ」利用の若者がたくさんいて、彼らも不満を口にしていました。
帰宅してからあらためて全国のJR路線を見ると虫食い状態になっている事がわかり複雑な気分です。
ま、知らなかったのは自分くらいなもんでしょうけれど、、、、。


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青春18きっぷで青森旅行5 津軽新城編  [旅行記]

秋の気配が深まってきたこんな時期にナンですが。
暑い夏の旅行記追加です、、、。

毎年の青森旅行の楽しみは、「ホタテとイカの浜焼き」であります。
ホタテは刺身も美味しいけれど、浜焼きが一番ウマイ。刺身は甘すぎてすぐに飽きてしまうのです。
イカも炭火で焼くとどうしようもなくウマイ。

浜焼きって言っても、友人宅の庭先にテーブルを出して七輪で焼くのであります。

子供達もホタテの焼き方(ちゃんとメソッドがあります)を覚えてくれてるので、こっちはひたすら飲んで食べるだけ。これが至福のひととき。あ~食った食った。
津軽新城にあるこの家には、井戸水の出る水道があります。この水が当然ながら非常に冷たくて美味しい水なんです。彼に言わせると、普通の水道水は飲めたもんじゃないとのこと。
ただ、この井戸水は庭にある蛇口からしか出ないので、使う時に毎回外に出なければいけないのが難点ですが。
その庭に去年まで見られなかったヘンなものがありました。なんでしょう?

実は、雪を捨てるための穴なんです。去年の豪雪がよほど大変だったんでしょう。
「毎日毎日、雪かきしてたよ~!」とフランス人である奥様が呆れ顔でつぶやいてました。

ところで青森と言えば、大相撲有名力士の出身地でもありますが、その底辺を支えている環境がこんなところにも見られました。

普通の中学校の校庭になんと!土俵があったのです。

初めて青森に来たのは、五能線のハチロクを撮影の時、昭和48年1月でした。
当時とはまったく変わってしまった市街地ですが、青森駅の駅舎は、昔のままです。

周辺は、当然ながら「激変」してしまいましたが。どこかに昔の写真があるはずなので、そのうちに定点写真を載せたいと思います。

つづく、、(次回は五所川原編です)


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