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昭和50年夏 [高崎エッセイ]

昭和50年夏、高校一年生の夏である。

「高校」「夏」とくれば「甲子園」だ。
我々の世代は、もちろん遠の昔に戦後ともオサラバした新人類のはずであった。

しかし、夏の甲子園というイメージと戦争、終戦という言葉はかなりダブってしまう。終戦記念日が大会の真ん中に居座っている為だろうか。そして、この大会の陰にそうした日本的サウダーヂが漂っているのを感じられるのは、実は古い人間だからなのか?

少々感傷的な気分でその夏の大会の地区予選を観に行った。

高崎市の城南球場[36°18'50.87"N 139° 0'25.44"E]である。
市街地から烏川(からすがわ)沿いにあるこの球場へ向かう時、最後に急な坂を下る。この坂のあたりに来ると、球場から歓声とともにブラスバンドの応援の音が聞こえ始める。この音も自分にとっては夏の風物詩なのだ。

自分の高校の試合が終わった後で近くの私鉄、上信電鉄の南高崎駅[36°18'43.89"N 139° 0'41.36"E]へ行った。

昼下がりの小さな駅では、古いドイツ製電気機関車が貨物の入れ替え作業をしていた。この駅には近くにセメント工場があり、たったひと駅間の貨物列車が一日何本か走っていたのだ。

今では、引込み線も撤去されてしまい、単線の無人駅になってしまった。

この駅付近は、まるで江ノ電のように人家の軒先をかすめて走る場所でカメラ片手に自転車で流したものだった。

そのまま線路に沿って烏川方向に下っていくと狭い丸太橋(よく流された)があり、右手には長い烏川鉄橋を見渡す事が出来た。電車は広い田んぼの中を根小屋駅へ向かう。
このあたりも撮影によく通った場所だ。

すっかり変わってしまった今でも、この場所に来ると暑い夏を思い出す。
今年も球児たちの熱戦が始まった。梅雨明けしたら自転車で出かけてみたい。


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コメント 3

む〜さん

ジーメンスのBB形電気機関車、良いですね。未だ健在でイベントには顔を出すと風の噂に聞いております。もう、30年になりますか・・・・・当時は、まだ貨物輸送も元気が残っておりました。凸形の電気機関車は、全国私鉄に沢山働いてました。
確か、上信の富岡駅前に電気機関車形のトイレがありましたね。

私も、昭和50年頃は、八高線にD51重連の石灰列車を見に行ったりしておりました。私も30代後半、元気溢れておりました。
by む〜さん (2006-07-13 22:29) 

む〜さん

ジーメンスのBB形電気機関車、良いですね。未だ健在でイベントには顔を出すと風の噂に聞いております。もう、30年になりますか・・・・・当時は、まだ貨物輸送も元気が残っておりました。凸形の電気機関車は、全国私鉄に沢山働いてました。
確か、上信の富岡駅前に電気機関車形のトイレがありましたね。

私も、昭和50年頃は、八高線にD51重連の石灰列車を見に行ったりしておりました。私も30代後半、元気溢れておりました。
by む〜さん (2006-07-13 22:34) 

quatre-l

上信電鉄は、デキ以外には目立った存在の電車もないローカル私鉄です。
たまたま母親の実家が富岡の山の中なので、子供の頃から富岡駅近くの親戚の家にはよく遊びに行きました。「並木だんご」というみたらし団子が好きでよく買ってもらったんですが、その店の脇を線路が走っていたんですね。

なので、何の変哲もないこの路線にも何かしら愛着があるのです。
古いネガを引っ張り出してスキャンしてます。路線同様なんの取り柄もない写真ばかりではありますが、近々アップいたしますので、ご覧くださいませ。
それにしてもネガの保管が悪くカビだらけ、、、。お恥ずかしい。
by quatre-l (2006-07-14 00:16) 

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