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「ハイスクール1968」(四方田犬彦・新潮社) [書籍]

1953年生まれの著者の東京教育大付属高校時代のメモワール。
高校生のくせに、とにかく博学。活字中毒者。詩、音楽、映画、文学、哲学そして数学までもマスターしてしまった男。
彼を否定するものではないけれど、、、。

饒舌に語れば語るほど、その受動的な体質に違和感を覚えてしまう。ホントにこの人はどこまで理解しているのだろうか、、。

例えば、音楽。この世に生まれて16年ほど生きただけの少年に、あたかも「ジャズ」の本質に触れていたかのような感想は、どうだろう。その表現もほとんどが借りてきた言葉で修辞されているだけだ。以前にも書いたが、音楽家の間でよく言われる事(でもないの)だが、作曲家になれなかった人が指揮者になり、それにもなれなかった人が演奏家になり、演奏の出来なかった人が普通の聴衆となる。普通の聴衆にもなれなかった人が評論家になる。評論家は好きではないのだ。

彼の世界観が「本」と「都市」の中に限られていた事も気にかかる。「本」もろくに読まず「旅」ばかりしていた中学生時代の自分が得た経験は、城西地区の超エリート集団の中で書物から得た知識のみで討論し納得していた彼らのダイナミックレンジより余程広かったのではないだろうか?ま、難しい思想だの哲学だのは縁がありませんでしたが、、、。

彼の高校生時代と自分の若い時代の共通するキーワード。
「ガロ」「アビイロード」「三島由紀夫・美しい星」「奥崎謙三」などなど他にもたくさんあった。三島由紀夫の自決を「年号の時代」から「西暦の時代」への転換期だとする説は的を射ていると思った。

映画評もたくさん書かれていたが、自分の感動を言葉で評するというよりも知識で評するスタイルが多かった。つまり映画学であり音楽学である。エンターティンメントとして感じていないんだなぁと思ってしまった。この人にハリウッド映画はダメでしょうね。トヨタ車もダメだなきっと。


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